統一地方選挙
明日は投票日です。
「統一地方選挙」の前半って感じかな。
後半は22日投票日だよ。
私の元同僚の投票日は後半ですが、明日は元事務所のバカ息子の投票日なんだね。
もしもあのまま仕事辞めずにいたら、今頃は2,3カ月休み無し状態でボロボロだったことやろうなぁ。
去年の最悪なあの選挙があったから今、辞めている自分があると言っても過言ではないね。
もう2度とバカ息子の選挙に関わりたくなかった。
代議士のためには頑張れるけど、その息子のために身を粉にして頑張れることはできない。
1年たった今でも、思い出したくない。
笑い話にもできかねるかんじ。
私がそれから逃げ出した訳だから、代わりに犠牲になっている人々がもちろんいるわけで。
後輩カトピンと近所のワタ君。
彼らから毎日のようにメールや電話で色んな愚痴や嘆きでしかない報告がきます。
もう本当、かわいそうでな。
どんだけしんどいかようわかるし。
でも逃げた私がなんて励ましていいのかわかんないしさ。
とりあえずあと少しの辛抱やとしか言えない。
私が選挙を戦う時の自分への言い聞かせがそうだった。
いつも「あと何日で終わる」「あと少し」って終わる日を指折り数えながらただ時間がすぎるのを待ってたし。
そうじゃないと気が狂うんだよね。
ゴールがあるだけマシやったとすら思える。それに向かってけばいんだから。
とりあえず、今日と明日で彼らは地獄から解放される。
心からお疲れさん。
しかし選挙というのは、関係する人々を容赦なく巻き込み、容赦なく生活に影響を与えるものであるとつくづく思う。
「祭り囃子」みたいなもんなのだろう。
聞こえてくるとなぜかワクワクする、そういう感じ。
祭(選挙)に一度参加するとその非常識な世界に魅了され、足を洗えない人が多い。
参加しないってつもりでいても、結局選挙が始まると、色んなことが気になり、様子をうかがいたくなる。
9年間、色んな選挙を見てきたし、色んな選挙を手伝う人々を見てきた。
基本的に選挙活動を手伝ったりしている人々はボランティアだ。
私はつねづね、なぜに集まってくる人々はノーギャラなのに自分の時間を割き、しんどい思いをしてまで選挙を手伝いに来ているのであろうか?と疑問に思ってきた。
選挙で美味しい思いをする人種も確かにいるが、ほとんどの人が無欲でただの好意でやってくれている。
そういう人が本当にたくさんいるのだ。
ギャラをもらって選挙を仕事としている時はまったく理解できなかったが、いま離れてみるとよくわかる。
「選挙」にはそういう不思議な魅力?ではないけど、何かほっとけない、関わりたくなる何かがあるのだ。
しかし私はその「選挙」が嫌で9年勤めた仕事をやめた。
なのにこの統一地方選挙、いやいやながらに頼まれたら嫌とは言えなくて色んなところで手伝いをしてきた。
22日の後半の投票日が終わるまで、手伝いをしていくことになると思う。
腕を買われているのだと思えば聞こえはいいが、自分的には未練がましい行為であると思わざるをえない。
これが最後の「選挙」になれば、と思っている。